被災の記憶 −まとまりはありません−

 当時被災地域に住んでいた。(あまり知られていないですが、大阪府豊中市の中・南部も被災地域です。) 家は立て直したばかりだったので一部壁にひびが入ったくらいで済んだけれども、部屋はむちゃくちゃでした。振動で蛍光灯が割れて降りかかり、テレビや本棚もベットの私に向かって落ちてくる。
 大変だったのはその後です。当時は2交代勤務についており、昼からの予定でしたがお客さんの要請により急遽出勤。タクシーを拾う為に阪急タクシーの本社に向かう途中はまるで戦時下でした。家やアパートの上の階の窓から水が滝のように落ち、道路には瓦礫が散乱している・・・
 ようやくお客さんのコンピュータ室(大阪市西区)にたどり着くとMTロッカーが散乱。もう少しずれて汎用機を壊してくれていれば楽だったなーと思いながらようようシステムを起動した。その間事情を知らない各地の支社・営業所からのお怒りを謝りながらでした。